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類変更?!

dimanche 12 avril

無事科目試験が終わりましたが、非常に気になることがあるのです。卒論指導のお知らせが来たと思ったら、もう一枚紙切れが入っていました。いわく、「所属類と卒業論文構想との関連について」。

「貴君より提出された卒業論文指導調査票に基づき、学習指導室において内容を検討した結果、現段階では貴君の論文構想と所属類が一致していないと思われます。」

!!!

(中略)貴君が今回の構想で論文を執筆する場合には、第1類に変更の必要が考えられますが、具体的には初回指導を受け、指導教員が決定した際に最終的に類変更か否かが決定されますので、(以下略)。」

うううこれは予想していなかった!確かに私の書いた内容はミュゼットの歴史―すなわち音楽。第3類の私は仏文でフランス文化つながりのつもりが、慶應には美学美術史学の専攻もあるのだった!(音楽学もこれに入る)
http://www.flet.keio.ac.jp/dep/arts.html
しかしこれが入ってるのが(哲学を主とする)第1類。もし変更するなら、必修科目は「所属する類から」28単位ですから、すぐにでも哲学系の科目を始めなければなりません!指導日は5月21日だけど、次のレポート提出日は5月25日ですよ、あなた!そんな悠長にしていられないのです!うーん、何だか現実感がないけど今更卒論テーマを変える気もないし・・・。哲学系科目は難しそうで敬遠してたのに、できるのだろうか???

おまけで初回調査票に書いた内容をアップしておきます。恥ずかしいけど。こんなのです。
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論文構想
動機:
1年ほど前に趣味でアコーディオンを始めたが、音楽のジャンルとして「ミュゼット」というものを知り、それがシャンソンと並んでフランスを代表する伝統的な音楽であること、またそれが様々な移民から成るパリ特有の歴史及び大衆文化と深く結びついていることを知って、さらに自分で調査しまとめたいと考えた。
アプローチの仕方:
①『パリ・ミュゼット』・『アコーディオン・パリ』等から歴代のミュゼット奏者(及び作曲者)を自分なりにディスコグラフィーにしてまとめる。ミュゼット音楽においてイタリア人のアコーディオンがオーベルニュ人のバグパイプに取って代わるその重要な契機となったシャルル・ペギュリを始め、アコーディオンの優位をその混合奏法で確立しミュゼットの父と言われたエミール・バシェ、1930年代から1940年代にかけて互いに切磋琢磨して活躍したギュス・ヴィズール、トニー・ミュレナ、ジョセフ・コロンボ、ジョー・プリヴァの4人。またツール・ド・フランスの専属となり知名度の高いイベット・オルネ、その他マルセル・アゾラ、ダニエル・コラン、ジャン・コルティ、アルマン・ラサーニュ、リシャール・ガリアーノ等。
②「ミュゼット」の起源について調べる。ミュゼットとはフランス式バグパイプの一種であり、本来は羊飼いなど放牧業に使用されていたが、17世紀からフランス王宮社会の興味をひき、18世紀にはヴェルサイユ宮殿などで演奏されることになった。18世紀後半から王宮社会での人気が落ちるとともに庶民の間で流行するようになる。ダンスホール(バル・ミュゼット)では19世紀の終わり頃からミュゼット・バグパイプの代わりにアコーディオンを使用するようになる。バル・ミュゼットで弾かれるワルツやポルカ、スローなワルツのジャヴァなどの曲は総じて「ミュゼット曲」と称され、フランスやベルギーではバル・ミュゼットが盛んになって以来、ミュゼット音楽がアコーディオンの代名詞のようになる。
③ミュゼットの成立と移民について調べる。19世紀以降産業革命の影響で、パリにはフランス国内はもとよりヨーロッパ各地からの移民が流れ込む。ミュゼットの成立に関して重要なのは中部フランス地方から出稼ぎに来て、彼らの郷土の楽器であるキャブレットというミュゼット・バグパイプを持ち込んだオーベルニュ人。またイタリア移民はアコーディオンを持ち込んだ。現在でもミュゼット奏者はイタリア移民を系譜に持つ者が多く、またアコーディオン工場もイタリアを本拠地としたものが多いこともあって、イタリアはミュゼットにとって最もつながりが深い国。そしてパリのジプシー(ロマ)即ちマヌーシュの存在。マイナー調の曲を好みジャズの要素を積極的に取り入れた彼らはミュゼット音楽に多大な影響をもたらした。
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うーん、卒業が遠くなったような。

http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1136157709&owner_id=831795
by nabocha | 2009-04-12 20:35 | 慶應通信
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