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アントワーヌ語録

samedi 8 décembre

「チボー家の人々」を図書館に返す前に書いておこう。この物語のひとつのクライマックスは、反戦ビラを撒きに飛行機に乗り込んだジャックが、墜落して生き延びた上であっけなく殺されてしまうという、悲劇ともいえないような最期なのだけれど、何と言っても圧巻なのは、死を前にしたアントワーヌが人間の精神と世界の行方について思いをはせる壮大なモノローグ。

(最終巻p124)
自分の性質の本質がなんであるか、それをたんねんに求めてみなければ。自分の真の性格を、すこしずつ発見するようにつとめるのだ。ところが、これはやさしいことではない!多くの者は、ずっと後になってからようやくそれに成功する。また、多くの者は、ついに成功しないでおわってしまう。そのためには、じゅうぶんな時をかけなければ。何もいそぐにはあたらない。自分がつかめたとなったら、時をうつさずあらゆる借り着をすててしまうがいい。限られ、欠点を持ったものとしての自分自身をみとめるのだ。そして自分を、その正しい方向へ向かって、健康に、正常に、なんのけれんも用いないで発展させようとつとめるのだ。みずからを知り、みずからをみとめるということつまりは、必ずしも努力を、また完成を思いあきらめることではなく、むしろその逆なのだ!それこそは、みずからの最大限に到達する絶好の機会を持つこと、とさえ言えるのだ。というわけは、そうあってこそ、感激が、はじめてその正しい方向、すなわち、あらゆる努力が実を結ぶ正しい方向へ向けられることになるからなのだ。力のかぎり、みずからの視野をひろげるようにつとめるのだ。だが、それも自分の持って生まれた視野でなければならない。そして、その視野が、はたしてどんなものであるかをよく理解したうえでなければ。人生に失敗する人たちとは、もっとも多くの場合、出発にあたって、自分自身の性格について思いあやまり、自分のものでない道に迷い込んだ人たち、または、正しい方向へ向かって出発しながら、自分の力の限界にふみとどまることを知らなかった人たち、あるいはまた、そうした勇気を持たなかったところの人たちなのだ。

(最終巻P156)
いつも心で、星の世界に生きているように思っている天文学者は、ほかの者たちよりもずっと楽な気持ちで死ねるだろうと。
それらのことについて、おれはいつまでもいつまでも考えていた。空に吸いこまれる眼差し。無限な、そして望遠鏡が少しでも改良されると、たちまち距離を深くしてゆく空。それは、あらゆる空想の中で、とりわけ心をなぐさめてくれる空想というべきなのだ。この限りない空間、すなわちそこでは、われらの太陽とおなじような無数の天体がゆっくり回転し、そこでは―われらの目にとても大きなものに見え、地球にくらべて百万倍も大きいはずの太陽でさえ、まったく取るにたりないもの、何千何万というほかの星の中で、単に一つの単位にすぎないといったような空間・・・
天の川。これこそは無数の星、無数の太陽のこなであり、そうした天体のまわりを、たがいに何千万キロもへだたりながら、何十億という天体がまわっている!それにあの星雲、そこからは、数しれぬ未来の太陽が巣立ってくる!しかも天文学者たちの計算によれば、こうした密集した無数の世界も、あの無限の空間―そこでは、われらにその全部がわかっていない無数の放射、重力による無数の反作用が縦横に飛びかい、そのためにたえずふるえつづけているらしいエーテルの世界にくらべるとき、ほとんど無にひとしいものであり、ほとんど取るにもたらぬ小さな位置しかあたえられていないという。
こう書くだけで、すでに想像力はゆらめかずにはいられない。何やらたのしい目まいとでもいった感じ。今夜はじめて、そしておそらくこれを最後に、おれは自分の死について、一種の落ちつき、一種超然とした無関心な気持ちで考えることができた。苦悩から解き放され、そして、滅びゆく肉体にたいして、ほとんどどうでもいいといったような気持ちがする。おれというもの、それはまさに無限小な、そしてぜんぜんなんの興味にも値しない一個の物質なのだ・・・
こうした平静さを見いだすため、おれはこれから毎晩、空をながめる決心をした。
そして、いまは朝。新しい一日。

うわー長い引用。2つめのほうは池澤夏樹の「スティル・ライフ」を思い出した。自分の内なる世界と外の世界の調和をはかること。たとえば、星を見るとかして。

以下は自分へのメモ。カミュ「マルタン・デュ・ガール論」(p243)の以下の一文の考察。
私がもっとも感動するアントワーヌの言葉は、彼が死の少し前に綴った「私は平凡な人間にすぎなかった」という言葉である。(中略)作品全体に力を与え、その深い動きを照らし、賞賛に値する『エピローグ』を飾るものは、その平凡なる人間である。要するにユリシーズの真理がアンチゴーネの真理を覆っているのである。ただしその逆は真実でないのだ。
by nabocha | 2007-12-08 07:25 | 読書
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